エコシティ江戸

18世紀の江戸は、100万人を超える大都市でしたが、世界でも類を見ないゴミのない街であったと言われています。その理由は、循環型社会が形成されていたからでした。江戸時代の日本では、産業が生命のつながりの中でとらえられ、徹底的な循環が行われていました。これは、今日の日本がこれからつくり出そうとしている循環型社会の事であり、持続可能な自然利用の方法そのものです。今、人口構成も科学技術も変わっていますが、私たちの未来を考えるときに、もう一度過去に行ったことを学びなおす必要があるのではないでしょうか。江戸時代の職人たちは、100年も200年も持つ道具や建築物や紙や布をつくる事を誇りにしていました。それは、1度使ったら終わりになるのではなく、さまざまな形に変化しながら、何百年も使用できるように考えていたからです。例えば、和紙は楮、三椏のような1年草を使用し、その製造過程ではわら、木、草の灰を利用したそうです。紙は何度もすき返されて使われ、最後には燃やされ、その灰は灰買いに買い取られ、また様々なものを洗浄したり農耕の土としてつかわれました。「はなさかじいさん」の話は全くの架空の話しではなく、実際の生活の中で起こっていました。

参照:田中優子「未来の為の江戸学」

江戸のアパレル事情

 

私たちが関わるアパレルの江戸時代はどんな状況だったか調べると、着物を作る反物は呉服屋で売られていましたが、反物から着物をつくる階層は、上層階級に限られていました。多くの人は古着屋(幕末には3987軒、そば屋の数より多かったそうです。)で売られている「つるし」で買います。ここではハンガーみたいなものを当時から使用していたようです。着物を何枚も持つ必要はなく、襟を付け替えたり、合わせにしたり、綿入れしたりしながら、何度も着て、重ね着もします。洗い張りにだし、古着屋に売ってはまた古着屋で買い、高級なものなら子供へと何代も受け渡します。汚れたら染め変えて使って、擦り切れてきたら、前掛けや布団、袋にして使い、いよいよ寿命が来たら灰になり、灰買いが買っていく。過去に戻ることは出来ませんが、江戸時代にはこんな、サスティナブルシティだった東京・日本です。私たちのDNAには江戸時代のサスティナブルな意識が流れており、東京を新しいサスティナブルシィ化する事も夢ではないはずです。

 

nusumiguiさんの事例

 

 

CPK GALLERYで展示を行ったnusumiguiさんは、一度作った洋服を何度もお直しを実施しています。(ユウマさんが死ぬまでやるとおっしゃっていました)ライフスタイルに合わせて、何度もお直ししてくれるそうです。授乳の為にボタンをつけなおしたり、ほつれた部分は新しいデザインにリメイクしたり。江戸時代に負けない、現代のサスティナブルなアパレル事業の一つなのではないでしょうか。

【ハルマリ突撃インタビュー】 CPK GALLERY_vol.3 nusumigui(山杢 勇馬)記事より抜粋 https://www.copack.co.jp/column/2033

今って年間100万トン消費されていてそのうち90万トンが焼却処分されているらしくて。一からつくるにあたって、もう資源も足りていないという状況で一からテキスタイル作るって自分にとってはどういうことなんだろうって考えて。服をリサイクルする取り組みもいでもそういう活動の部分をあまり押しすぎるとやっぱり違和感を感じてしまう気がして。事実は意識しながらものづくりがしたいなと思っています。京都に「ひなや」(https://twitter.com/hinaya_kyotoって会社があるんですけど、そこの会社がリサイクル活動をしているんです。「ひなや」の社員さんで資源を回収して、また新たに生み出すという活動をしている人がいて、僕もその活動に一年参加しました。古着を集めてくると1キロあたりにポイントがつくんです。それはエコマネーポイントと言って、貯めると電車に乗れたりする。期間限定の実験的なものだったんですけど、そこまでできた。そういう取り組みをやったのがきっかけでニットなども古着を活用しています。

 

 

eCOPACKでは、江戸の香りが残る街、浅草橋から新たなサスティナブルに関わる情報発信をしていきます。

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